安田裕康様
その当時はまだ30代で結婚前。岡山で陶芸家としての修行を終えた裕康さんは「登り窯」を建てるための土地を捜すべく婚約者を連れ房総にやってきたのでした。
購入したのは長柄町六地蔵。人里離れた山奥の林道脇の雑木林?山?いわゆる「山林」です。
それを一からお二人で抜根伐採!
山の斜面を削り住居を建てられる平坦地も作り上げ、念願の登り窯と住居をほぼ自分たちの手で完成させたのです。
そして開墾から5年もの月日を費やし、平成19年春に陶芸家として初釜の火入れを迎えます。
その間、お二人は結婚し、かわいい娘さんも授かり今では小学4年生に成長!着実に生活の基盤を長柄町で築き上げてきました。
30代前半から始めた房総での田舎暮らし!そのお二人の生活の変化を知る私たちとしても、とても興味深いインタビューとなりました!

- 年代
- 40代
- ご家族構成
- 夫婦 子供1人 愛猫1匹
- ご職業
- 陶芸家
- どこからの移住ですか?
- 岡山
- 現在お住まいの地域
- 長柄町
Q1.田舎暮らしを始めようと思ったきっかけは何ですか?
陶芸家として生計を立てるために、焼き物をどこでやるのかが問題で、思う存分登り窯で煙をあげても大丈夫な場所を捜した場合、人里離れた山奥である必要があったからです。
修行を積んだ岡山でさえも、登り窯の煙はいろいろと問題になっていたので、、、民家や畑でさえも近くにあると大変なんです。
Q2.房総を選んだ理由は何ですか?
色んな意味で僕にとってはバランスの取れた場所でした。
これは色んな生産者にも言えると思うのですが、大消費地の東京に近く、しかも安くて大きな土地を購入できる!
そして千葉の空気を吸った瞬間、ここが一番、自分の窯を建てた時に暮らしやすそうと感じたのです。
気候風土や出会った人たちも良かったのかもしれません。あとは武田さんに出会ったのも大きいですよ。いつか恩返しをしたいと思っているんですけどね~!
Q3.購入前と購入後での生活の変化は?
修行も終わり、陶芸を生業として生きていくぞ、と決意して念願の登り窯を建てられる土地を購入しました。
なので、一番の変化は、自分が陶芸家として生活の基盤をこの地で築いていくのだ!という決意だったと思います。
Q4.田舎暮らしで、チャレンジしたことは? また、これからチャレンジしたいことは?
無我夢中で、この地に生活の基盤を築き気付いたら娘は小学四年生。いつの間にかPTA会長に(苦笑)
その間、15年ほどの月日が流れ色んなことが見えるようになってきました。
最近ではPTA会長という役職のおかげで町と関わることも多くなり、10年先20年先の長柄町の事も考えるようになってきました。
なので、お世話になった長柄町に何か恩返しができないかな~と地域おこしのようなことをやりたいと思い始めたんです。
地元に溶け込むと色んな才能を持った人たちに出会います。その交流の中で、みんなで協力しあって「長柄町に恩返し」ができたらいいなと思っています。
自分が移り住んで間もない頃に、開墾の手助けをしてくれた移住者の先輩に何か恩返しをしたいと伝えたら、「自分たちに恩返しをしなくて良いから、いつか同じ立場になって新しく移住してくる人たちの手助けをして。」と言われました。
かっこいいでしょう!この言葉が胸に響いて、「新しい移住者への手助け」ができたらいいなとも思っているんです。
Q5.これから移住される方、セカンドハウスを購入される方へのアドバイスをお願いします。
移住してくる人の気持ち次第というところがあると思います。
田舎で暮らしたって都会のような生活を送ることはできますから。
後から、その地域に移り住み、世話になるんだという謙虚な気持ちがあれば色んな所から救いの手が伸び助けられますよ。自分たちがそうでしたから。。。その地に調和するということが本当に大事だと思いますよ。
最近では色んな情報が蔓延していて頭デッカチになり過ぎてがんじがらめになって、、、理想と現実が違いすぎたのか田舎暮らしをあきらめて出て行く人もよく見受けるんですよ。
机上の上での田舎暮らしではなくもっと自分の直感を信じて柔軟に対応できれば、もっともっと入り込む余地があると思います。
安田夫妻の田舎暮らしの歴史は、ある意味、当サイトの歴史でもあるかもしれません。
小さな種がやがて芽を吹きツルを伸ばし成長していく過程を見ているようです。
そんな安田夫妻が長柄町六地蔵に築き上げた「城」「六地蔵窯」ぜひ現地をこの目で見て欲しいです。